飛躍 〜2018総まとめ〜
14時間包囲され、マイナス14度
の極寒から解放されるという
極限状態から今年は始まった...
そして今2018年12月31日23時59分
地下鉄に揺られている。
終わり
目次
アメリカ
とにかく今年は躍動の一年だったなと思う。
去年の年末年始を一週間、NYで過ごしていた。
共に過ごしたメンバーは、とある旅育成プロジェクトで集まった初対面の10人。
集まった目的としてみなさんご存知であろう、
「NYタイムズスクエア」の年越しカウントダウンだ。
そこで出会ったメンバーの一人が後に出てくる「M・K」である。
彼は事故の後遺症で、あごが大きく開かず、ハンバーガーを食べることができない。
おまけにケツアゴだ。
なんてかわいそうなんだ。
当時カナダに留学中であり、英語がとても流暢だったので、とても頼もしかった。
でしゃばりグセがありみんなをまとめたがるやつで、
自分のことより他人のことばかり考えている。
会う前からLINEグループが存在し、そこでも彼が率先して、まとめてくれていた。
まあ良くも悪くもケツアゴだ。
そんな彼のことはさておき
NYの年越しの話をしよう。
日本とアメリカとでは、時差が14時間ある。
日本の方が時間が進んでいるため、
日本の年越し時間は、NYだと午前10時になる。
その時間になるとNYでも日本のカウントダウンをしてくれて、祝ってくれる。
まずはそれを目指して行くことにしたが...
会場に着くとすでに各国の人々がたくさん集っていた。
心の意を決し、いざバリケードの中へ。
入ったら最後、14時間の耐久レースの始まりだ。
トイレで外に出ることすら許されない。
よって、みんな揃って、オムツで参戦。
日本時間以外にも1時間ごとに各国のカウントダウンをしてくれる。
むしろ、それしかない。
ライブなどの模様しものが始まるのは年越し3時間前ぐらいからであるため、
本当に暇である。
かといって何かをするにしても寒すぎて、何もすることができない。
トランプを試みたが、手が寒すぎて、断念。
最初のうちはお話しして、場を持たしていたが、あまりの寒さに気づけば無言に。
めちゃくちゃ防寒をしていたが次第に足の指先から冷えて行き、
体全体が冷えていく。
正直2時間ほどで心折れてた。
時間が経つにつれ、お腹も減るが食べ物がない。
尿意に備え、朝から水分を取らず、食べ物も早々に食べきってしまった。
ふと下を見ると地べたにm's&m’sが落ちていた。
無我夢中にそれをみんなで必死に食らいつく。
おまけにブラウニーも落ちているではないか。
これがまたクソ固くてあの強靭なあごを持つ「K子」もこの表情である。
そんなこんなで足の感覚がなくなり、心臓が止まりそうになりながら、
なんとかその場を過ごし、ついに年越しを迎えた。
空一面に紙吹雪が舞い、幻想的な光景に感動すると共に、
湧き出る10人全員生きてるという喜び。
改めてよく考えてもらいたい、
マイナス14度の中、じっと14時間待つ過酷さ。
無事年越しを迎え皆、口を揃えていう言葉がこれだ。
「もう一度NYの年越しをしたい!!」
共に戦った苦悩を共有することで、絆が生まれ、かけがえのない存在に。
きっと一人であったら、確実に途中退場していただろう。
補足をすると
10人中3人はオムツにおしっこをする
そして1人はウンチの極限状態に陥る。
そう、それがまさきけんである。
そして今後NYタイムズスクエアのカウントダウンに参加する人は
防寒はもちろん、足の指先の防寒を徹底することをお勧めします。
あとお腹が空いたらドミノピザを頼むといいですよ!!
(空白の2月)
(本当に何もなかったわけではないが、
これといってインパクトがあるものがなかったので割愛)
挑戦
そして3月は朝鮮の1ヶ月やったな。
まずはこのラーメン
見た目は黒く、あまり辛そうには見えないが
自称「宇宙一辛い」と言われるラーメン。
しかし完全に舐めていた。
いざ目の前に出されると、
なんと燃えているではないか。
これは演出であり、しばらくすると火は消えてしまう。
では実食。
汗止まらんし、体が拒否反応起こして、口が全然開かないんよね笑(いや笑えなかった
けど)気合いで麺は完食したが、あんな経験初めてやった。
その後、口は腫れるしで、まるでボコられた後かのように、
おまけに完食したはいいが、胃が辛すぎて、トイレで戻した。笑
マジで辛すぎるから、辛いの得意という人は是非一度自身で経験してもらいたい。
あくまでも辛いのが得意な人で好きな人は控えた方がいいかと。
話変わって、山手線徒歩一周したな。
NYで出会った「M・K」と「O・K」と三人で。
歩いてる中で見つけた気になる店に入り、男気じゃんけんでお会計する
という感じの食べ歩きの旅やったな。
後半足がつりそうになり、辛かったがひたすら話しながら歩き、
お互いのことを深く話し合えて有意義な時間だったなと。(レンは途中離脱)
そして時間で無事ゴール。
そんな3月でした。
再会
4月は再会の月だった。
去年初めて参加した無人島プロジェクトのメンバーで花見キャンプ。
関東平野が一望できる場所で桜と星を見ながらBBQ。
高校の友人と京都・大阪旅行。初のUSJ。
東京でNYメンバー再会。
5月にはそのNYメンバーの一人が結婚するとゆうことでみんなで仙台へ。
一軒家を借りて、それぞれの思いを語り合い、組体操をしたり、
自然体なフリの写真を撮ったり、家族のように、
最高の時間を共に過ごすことができた。
そういや、前から参加したかった、大人の運動会にも参加したな。
断捨離
6月は断捨離の月やった。
自分の生活を見直し、消費を減らす生活すると決断。
そう考えたときにまず断捨離をしようと思い、固定の家っていらないなと思い、
一人暮らしの賃貸を解約しようと思った。
まずは私物を減らそうと思い、私物一掃無料プレゼントを実施。
普通に売るのでもよかったが、単純にめんどくさいのと、
売るだけだとお金しか手元に残らないので、
繋がりに感謝の思いも込めてプレゼントにした。
冷蔵庫、電子レンジ、TV、ベット、などなど。
あっとゆうまに手元を離れ、部屋は殺風景になり、無事部屋を解約した。
旅
そして7月、海外へ初めて一人で飛び出した。
降り立った地はみなさんご存知であろう「ブルネイ・ダルサラーム国」
石油が取れる裕福なイスラム教の国で、東南アジアにも関わらず、
物価は日本と変わらない。道路は舗装されているが、
交通手段はバスかタクシーしかない。
バスは当然のことのように時刻表はなく、待てど暮らせど来ない。
タクシーは流し運転は行っておらず、電話で呼ぶか、タクシー会社に行くかの二択。
よって必然的かのようにヒッチハイクを始めた。
すると開始して5分ほどで車が止まってくれた。
その後もヒッチハイクをやるたび毎回5分ほどで拾ってくれる!!
なんて優しい人たちなんだと思い、しまいには道端を歩いているだけで、
乗って行けよと声をかけていただいたり、感銘を受けた。
そして、世界最大の「カンポン・アイール」という水上集落があり、
市内の4分の1の人口が暮らしているらしく、東南アジアらしい、
少し汚い生活を見れたなと思った。
集落を歩いていると一人のオヤジに声をかけられた。
オヤジ
「やぁ、兄ちゃん。観光かい?案内してやるよ!!」ってな。
わい
「タダかい?」
オヤジ
「もちろん!!まぁついてきな!!」
しかし、いかにも湖山くさそうやったが、わいも暇だったし、
相手してやるかという軽い気持ちでついていくことに。
歩き始めて早々、
「暑いねー。喉乾かないかい?」とオヤジが言い近くのお店へ
ものを選び、俺が先に会計をすると、後ろから店員とオヤジが話をしているが、
もちろん何を話しているかわからない。
店を出ると、会計をしていない商品を持って出てくるオヤジ。
買わんと何しとん?
あっそうゆうことか。
勝手に会計一緒にしてやがった。
まあまあここは多めに見てやろうと思い、その場はスルーした。
歩いているとやたら、
「写真を撮ってやるから携帯を貸せ」といってくるので、
とにかく写真をたくさん取られた。
序盤は水上集落らしい写真を撮ってくれていたが、
桟橋の先に立たされたり、わざわざ地元の漁をしている人に網を貸してもらったり、
多道路の真ん中に立たされたり、壁の上に立たされたり、無茶苦茶や。
もはや、水上集落出ちゃってるし。
おまけに
「俺、ボクシングやってるからポージング撮ってくれ」と言われしょうがないから
撮ってやった。
その写真がこれ。
誰得やねん。
1時間ほどで案内は終わり、最後にオヤジはこう言いった。
おふっ4000円か。
意外と安かったな。
しょうがないから、渋って25ドルだけ払ってあげたよ。
ってゆうインパクト小さめのお話。
結論は街中の建物と比べ、貧富の差は大きくあるなと感じた。
そんな、海外の文化を実体験することができた月だった。
あっその後タイにもいった
出会い
8月は、新たな出会いの月だった。
去年に続き、今年も無人島に行き、
改めて日々の暮らしの「衣・食・住」の大切さを考えることができた。
しかしそれよりも大切なものを再認識した。
それは、「人との繋がり」である。
無人島が故に、何もないからこそ、個々のできることをやり、
コミュニケーションを取り、共に助け合う。
これって普段の生活でもとても大事なことだと思うけど、
なかなかできずにいた気がした。
夜にはみんなで火を囲み、語り合う。
海岸で寝そべりながら、流れ星を見る。
朝日で目が覚め、気づけばゴツゴツの砂利の上で寝てしまっていた。
そんな時間を気にせずにのんびりとした空間がとても大好きだ。
見ず知らずの人が集まり、共に過ごした2泊3日。
気づけば掛け替えのない仲間に。
もう一つの出会い「M・K」に誘われて参加した。
「かとり神社の夏祭り」
全国各地から旅人や学生を中心に集まり、
ボランティアのお祭りを自分たちで一から作り上げて行くとゆうもの。
準備から本祭、片付けまで含めおよそ1週間、旅館に泊まり込みで行う。
毎日が宴で、開催地である高知に伝わる「返杯」が行われる。
共に同じ酒を飲み、盃を交わすことでより一層絆が深まる。
そして大広間で、修学旅行のように雑魚寝する。
一週間ずっと一緒にいるのだから、嫌でも仲良くなってしまうぐらい、
最高の場所だったな。
他にも8月はいろんなことがあったな
(家もなくなり、友達の家を転々とし始めたのも8月やったな)
旅立ち
そして今年最大のイベントが10月にあった。
その名も「TAISYOKU」
そう、5年勤めた会社を退職しました。
理由は割愛します。
さらに長年生まれ育った埼玉を旅立ち、未踏の地「福岡」へ。
初めて上陸したのが9月で、1ヶ月後の二度目の上陸にして、移住した。
その経緯や10月11月の出来事は、前回の記事をご覧ください。
そんなこんなであっという間に12月。
2ヶ月半ぶりに関東に帰ることに。
去年同様に今年も無人島プロジェクトの忘年会へ。
続々と知っている顔ぶりが集まり、ほっこりした。
レクリエーションを楽しみながら、お酒を飲み、
最後はみんなでお決まりのテーマソングを歌いお開き。
その後も朝までボードゲームをしたり、雑談したり
帰りたくなくなるほど幸せな時間だった。
実家に帰り、これまでの出来事を母親に話しながらまったりして、
早めのおせちを食べながらこたつでゴロゴロしている時
帰ってきたなーと実感した。
最後に
12月31日、福岡に戻っている途中にふと今年の振り返りをしようと思い、
移動時間にこれ書いている。
今まではオフラインで生きてきたので、
もっとオンラインで発信していこうと思った年でもあったが
本格的に発信し始めたのは、ここ2ヶ月ほどであるが確実に少しずつでは
あるが成果が出ていると思っている。
まだまだだとゆうことは、わかっている。
stay hungry.
今年は少し自分に素直に生きれた気がする。
だから来年はもっと素直に生きる。
とにかくタイトルにある通り今年は飛んで飛んで飛びまくったな。
飛行機に15回✈️
新幹線に6回🚅
船に16回⛴
乗ったな。
交通費だけで100万ぐらいいってる気がする。
来年も飛びまくろう。
そして発信し続ける。
そんなこんなで現在、年越しを迎えようとしている中、地下鉄に揺られている。
そういえば去年は年末NYにいたけど、日本時間の年越しの時は、結局間に合わず、
同じく地下鉄に乗っていたな。
happy new year.
to be continued...